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●楼門(隋神門)入母屋造り 『日牟礼八幡宮』
近江の守護職佐々木六角氏が延文四年(1559)に建立した。左甚五郎の彫刻が施されていたが、安政二年に左義長により焼失した。同五年再建され、四方猿の御門とも称している。
昭和48年八幡まつりで上部を焼失した。翌46年に復興、屋根の桧皮葺を銅版葺きに変えられた。

●「能舞台」と「日觸詣」ひむれもうで 『日牟礼八幡宮』
能舞台改築竣工にあたり、明治33年(1899)神社の能楽「日觸詣」が完成、この舞台で初演される。平成5年7月に93年ぶりに観世流の能楽が、薪能として演じられた。以後毎年近江八幡薪能として実施されている。

●左義長まつり
国選択無形文化財に指定された左義長は、日牟礼八幡宮氏子65ヶ町(1区〜11区)の内から毎年13〜15基が3月中旬の土曜・日曜の2ヵ日に奉納される。
毎年1月早々に「左義長祭運営委員会」が各町内の役員に召集され、祭礼の日や各種の取り決めが行われる。左義長は、新藁で編んだ約3メートルの三角錐の松明の上に数メートルの青竹を立て、細長い赤紙や薬玉、巾着、扇などで飾られる。
左義長の中心は意匠を凝らした「だし」が据え付けられる。「だし」はその年の干支にちなんだ物を海産物や穀物等の食べ物で作られる。「だし」は毎年各町内で手間を惜しまず行われる。また渡御を終えた左義長のコンクール結果発表がある。

●八幡山城跡
天平14年(1585)豊臣秀次により築城された近世初頭の山城で、海抜286mの急峻な山頂に東の峰・西の峰と三方に分岐した尾根を下方に向かって刷平し、それぞれの城郭を築き、山腹には広大な居館と侍屋敷を構えた。

本丸・二の丸・北の丸・出丸などの山上緒郭はもとより、山腹の居館侍屋敷はすべて石墨をもって構築され、本丸跡から鬼瓦や居館跡から金箔の五三の桐の瓦などが出土しており、安土桃山時代の絢爛豪華な城であったといえる。
文禄4年(1595)秀次公が高野山で悲運の最期を遂げるとともにわずか十年で廃城となった。   
八幡城は山城(本丸跡)平城(居館跡)の両方の長所を兼ね備えた最も優れた城郭の一つであるといわれている。現在は石墨がしっかりと確認できる

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